2012年02月10日

渋家に居た九ヶ月間。そして逃亡


かれこれ九ヶ月間ぐらい渋家というシェアハウスに住んでいた。

去年の2011年の五月から今年の一月までである。

様々な経験をした。

月日が経ったら、身勝手に懐かしいと思えるだろう。

青春の残り火が暖かかった。

そう思うだろう。

僕はこのシェアハウスに入居したとき26歳であった。

このシェアハウスで誕生日を越えて、27歳になった。

よい歳である。

大学を卒業して二年目だった。

しかしあと三年で三十路を迎える歳だった。

就職しよう。

そう胸に抱いて入居した。

都心に低家賃で住み、デザイン事務所に就職すること。

時間は十分にあった。

そこでまず六本木金魚というショーレストランで働いた。

アルバイトとしてホールスタッフをした。

そうして下済みをしたら、後々ショーの裏方の仕事にまわしてくれるという。

しかし、そのアルバイトを一ヶ月半で、ほぼ無断に近いかたちで辞めた。

「本当は飛んだら給与はあげられないよ」

言い訳をして給与を取りに行ったとき、そう言われた。

汚れた給与だった。

その汚れた給与を渋家の引越しにあてがった。

そのとき丁度、渋家は恵比寿から渋谷区の南平台に移転する計画を立てていたのである。

住人それぞれお金を出し合い、高額な移転費用を賄う。

僕は給与でそれを賄った。

貰う日が間に合わないので、一時外の友人に立て替えてもらった。

わざわざ金城くんに金を借りた。

渋家に貢献しようといった意志があった。

ただ、やはりフラストレーションは溜まっていた。

金城くんに金を貸してもらいに、居酒屋で会合した。

そのとき、僕は確かに愚痴をこぼしていた。

愚痴というよりも陰口だった。

「ロクに働きもしないで、サラ金に借金して、悠長にアーティストにあるなんか言ってる」

蔑んでいるような発言。

それはとしくにくんに関してのことだった。

としくにくんは女からも多額の借金をしていた。

約50万円にも昇ると聞いた。

それを聞いて、口がうまく人に取り入るのに長けた人間なのだろうと思っていた。

それが引越しの際に露見されたかのようだった。

僕が、この際だから一人暮らしをしようかと迷っている、と伝えた。

それを口説き落とされたように感じた。

現実を覆い隠し、都合のよいように問題を歪曲し吟味しているようだった。

ただ本人にその自覚はなかっただろう。

それ以前に、これは僕の思い違いかもしれない。

僕は懐疑主義者である。

しかし、口がよくまわるなと思った。

つまり僕は引越し費用を工面する一方で、口車に乗せられたような気分になっていた。

しかし僕は金を出す形で引越しに貢献した。

そして出した金は株に換算するという。

としくにくんは株式会社を運営していた。

家を法人借りするのになにかと便利である。

だから形だけでも会社を立ち上げていた。

「見返りはまったく保証できないが、株はつけておく。これも一種のアートだ」

そう言っていた。

他の住人も日雇いの仕事をして金を工面した。

そうして皆苦労してなんとか金が集まった。

無事、南平台に引っ越した。

引越しはmixiニュースにもなった

丁度そのころ、僕は富士ロックというフェスティバルの撤去作業に行った。

ステージ製作会社のアルバイトの求人に応募したところ、受かったのだ。

ただそのアルバイトをまわしてもらえたのは、この一回限りだった。

帰り際の車のなかで、面倒を見てくれた上司と話した。

「本気でこの業界に入るつもりでバイトをするのと、バイトと割り切って働くのでは、こちらの対応も違ってくる。無駄なことには時間を掛けたくない性格だから、どちらか教えてほしい」

自分は後者であると答えた。

「僕の第一希望は、商店のデザインをしているデザイン事務所に就職することです。だからアルバイトと割り切ってやらせてほしいです」

逡巡する思考のなかで、抜け道を探すかのように、苦し紛れに答えた。

おそらく、アルバイトが一回限りで終わったのはこれによる。

僕は安直にではないにしても、興味がないと語っていたのである。

当然の結果だ。

この撤去作業には三日間泊まり掛けで行っていた。

帰って来て新居は、ほとんど引っ越しが住んだようだった。

その後、アルバイトの面接を何件か受けたが落とされた。

生活がとどこおった。

親に仕送りしてもらった。

頭をもたげて嘆いた。

そこでアルバイト探しの一環として、就職研修セミナーの求人を見付けた。

時給900円と給与も出るという。

そこで、インターネットから応募し、面接に行った。

アルバイトを立て続けに落ちるなか受かった。

そして通いはじめたのが九月の初旬からである。

そのセミナーは塾の様な雰囲気だった。

若者と区分される年代が集った


二十歳から二十七歳までである。

僕が最年長であったが、この年代になると歳の差はあまり関係ない。

フラットな関係でみんな仲良く就職活動をしていた。

求人表が張り出され、応募する。

決まった人から抜けていく。

金曜日のセミナーが帰りがてらに飲んだ。

やはりどこに行っても派閥があり、いくつかグループができていた。

陰口の叩き合いになってることが多かった。

なにかしら規律を守らない人間が叩かれた。

規律やマナーを守らない人間が排他される環境。

そのなかで僕はうまくやっていた。

大学時代、怠慢だった僕が真面目に通っていた。

そんな折、帰り際にマクドナルドに行ったことがある。

そのとき、自分が住んでいる渋家のことについて話した。

そして、宣伝用に撮られYouTubeにアップされている映像を見せた。

住人の日頃の生活が音楽に乗せてダイジェスト風に編集された一分程の映像。

映像作家を目指すヤバ男が制作したものだ。

それを見せて一人が怒りや侮蔑を露わにし始めた。

それは西巻くんだった。

西巻くんも違うシェアハウスに住んでいる。

その西巻くんが憤り、「こんな奴ら」と言いだした。

それは住人にとって予期していた反応である。

むしろそれを狙ってつくってあった。

西巻くんは、僕にこのシェアハウスに住んでいたらどうなるか、説きはじめた。

そのメッセージを紙に書き僕に渡した。

それは渋家が2ちゃんねるで炎上する一ヶ月前のことであった。

この頃から就職が決まったら、渋家を出ようと思いはじめていた。

時間が経つに連れ生徒は少なくなっていった。

開講から一ヶ月半経つと二百名いた生徒が五十名程になった。

僕のクラスも約二十名程になりしみじみとした雰囲気になった。

セミナーのカリキュラムは、同じことの繰り返しになっていた。

それでも諦めず、セミナー内部の求人票やハローワークに通い、応募した。

渋家の一室の隅に設けられた自分専用のiMac。

そのiMacで履歴書を何枚も作成した。

丁度履歴書を作成していたときにとしくにくんが話しかけてきた。

「働くの辞めようぜ。なんで働こうなんてするんだよ」

それは真摯を茶化す道化のような口振りだった。

そこで僕は若干不愉快になった。

「としくにくんは考え方が普通じゃない」

と発した。

会話する文脈で自然に出た言葉だった。

これにとしくにくんが過敏に反応し、小さな口論になった。

「俺が言われてないとでも思ってるのか。俺はそんな事承知の上でこうでいるんだ。外の友達と話せば、なんで働かないんだって言われるよ。俺は苦労して開き直ったんだ」

「働かないんじゃこの先、としくにくんはどうするの?」

「アーティストになって有名になる」

お互いに大義をぶつけ合うのは気恥ずかしかった。

結局、人それぞれ価値観は違うからと自分が折れて終局した。

しかし僕はそれを他の住人に話してまわった。

悪意からではなく話のネタとして吹聴した。

そこで住人は

「としくにさんとときおさんが戦ってる」

と見てとった。

またこうも言った。

「ゴキブリとハサミ虫の戦い」

二ヶ月目が終わり十一月になると、会場が秋葉原から新宿に移った。

就職未定の人間が新宿会場の一室に集められた。

一度就職が決まったが帰ってきた者、就職が決まったが就職まで猶予がある者、そういった人間も混じっていた。

また同じようなカリキュラムを繰り返し行った。

丁度その頃、渋家が2ちゃんねるで叩かれた。

週刊誌『サイゾー』に渋家が取り上げられた。

渋家のゆるい規律を謳った見出しが付いていた。

『避妊がルール。規律のゆる〜いアート系シェアハウス』

それが2ちゃんねるニュースになり、非難のコメントが書き殴られた。

「2ちゃんねるなんて便所の落書きと一緒だから」

斎藤くんはケロんとした顔で言ってのけた。

他の住人の多くは見ないようにしていた。

ただ就職セミナーの帰りにメーリスが入ってきた。

ちゃんももからだった。

「バイト先でいろいろ聞かれた。2ちゃんでなに言われてるか想像がついた。悲しい。アカデミックな人の擁護を受けたい心境」

自分のことが書かれたようなコメントもあった。

胸がムカついた。

しかし、かまわずに就職活動を続けていた。

ハローワークを通じてこつこつと案件に応募していった。

「いつまで続けるんですか?」

ガウスがそう聞いてきた。

決まるまで続けると返した。

「そんなに働きたいんですか?別に働いている人が偉いわけじゃないでしょう」

そう言ったのはかじやくんだった。

かじやくんは渋家には珍しく、定職に就いている。

週休二日でキャバクラの店員をしていた。

確かに働いてる人間が偉いわけではなかった。

ただ働かないのは嫌だった。

定職に就きたかった。

ある日風邪をうつされた。

住人の斎藤くんから感染し、渋家は風邪で壊滅した。

六人ほどが風邪に倒れた。

僕もその限りで、あえなく実家に撤退した。

熱が48度ぐらいでた。

喘息が出た。

ここで僕は新たに渋家のリスクを痛感した。

一人が風邪を引いて全員が感染する環境。

それは働くんであればリスクが大きだろう。

風邪が治り就職セミナーに復帰した。

しかし僕には新たな計画があった。

ハローワークが斡旋している職業訓練に参加しよう。

そう思索していた。

給付金の援助がなければ通うのは不可能だ。

今月の給与を7万円までに抑えなければならない。

風邪を引いて欠席したのが功をなしたようだった。

給与の計算をした。

僕は最後の二日間を欠席した。

そうして就職セミナーは終わりを迎えた。

ただし誤算があった。

生活を一人で賄えず仕送りをしてもらっていた。

それが審査に引っかかった。

書類の説明を受けたとき、仕送りのことには触れなかった。

しかし、書類には明記されていた。

仕送りを足して計算した。

上限を三千円上回っていた。

それが最終審査で露呈し引っ掛った。

どうすればよいのか。

希望の火が消え悩んだ。

また路頭に迷った。

そこでとしくにくんが僕に俳優を志すことを勧めた。

とくしにくんはもともと演劇人だ。

「限りなくお笑いに近い演劇」

としくにくんは自分の演劇をそう題していた。

そのとしくにが休止していた演劇を再開するという。

そして僕を主役で出したいと言っていた。

斎藤くんの後押しがった。

逡巡することもなく承諾した。

光が射した。

アルバイトをしながら俳優を目指そう。

俳優や演劇に関する書籍を読んでいた。

やってみようかという気になっていた。

しかし自分は無職である。

東京に居てもなにかと金が掛かってしまう。

それに年末だった。

実家に帰った。

実家に戻ってもビデオ屋に行ってドラマを借りて観ていた。

俳優を念頭において観ていた。

しかし揺るぎのない決断ではなかった。

実家に帰ると、父、母と犬が二匹いる。

当然一つ屋根の下に居れば会話を交える。

会話をし僕は両親に対して迷惑を掛けていたことを思い知らされた。

迷惑を掛けていたのは気付いていた。

しかしそれが両親の口から直接発せられるのを耳にした。

胸が痛かった。

かれこれ八ヶ月ほど上京している。

親を頼らずに自立できていなかった。

僕は能なしだった。

渋家を後にし実家に帰郷しよう。

実家でまた仕事をしよう。

上京するまえ、毎日工場で働いてたじゃないか。

高望みしないで黙々と働いて、生計を立てよう。

そう思った。

僕が一番恥ずべきことは親に迷惑を掛けていることだった。

僕が渋家に戻ったのは年明けであった。

そこでとしくにくんと話した。

事情が変わった。

実家に帰る。

演劇の話しはなかったことにしてほしい。

酌量を認めてほしい。

妥協点を見つけよう。

としくにくんは譲らず説得してきた。

確かに約束したのは確かだ。

「ときおくんのためになると思ってる」

そんなのは綺麗事だ。

嫌だった。

反駁し、アーティストなんて目指していないと言った。

「それだったら、頼むから俺のために出てほしい」

約束しただろうとは怒らなかった。

弱みをついてこなかった。

僕がまた折れた。

としくにくんが日雇いのバイトを斡旋する手筈になった。

それが折れた末の妥協点だった。

実際にバイトに行った。

渋家の住人数人と床を作る仕事をした。

パネルと木材で床を作った。

三日参加して三万円稼いだ。

またよく遊びにくる女の子に仕事をまわしてもらった。

フレッツ光のプロモーション販売。

横浜まで面接に行き、派遣会社に登録した。

そして研修を受けた。

そこで不採用となった。

ビジネススキルが足りない。

現実は辛辣だった。

営業経験は未だかつてなかった。

営業には不向きだと確かに思っていた。

しかし、派遣登録した際いっ時力が漲っていた。

凍った日常は溶けて流れていた。

その折、いらない荷物を渋家から実家に送っていた。

気付かれず送ることが容易なことを悟った。

この際、事を済ませよう。

二三日で荷物をほとんど送り終えた。

電話が掛かってきた。

「今回は不採用だったけど、また違う業務がある」

予期していなかったことだった。

それで聞いた。

「勤務地は神奈川ですか?」

「そうです」

ほくそ笑んだ。

神奈川だったら実家からでも通える。

そうしてあとはiMacとその他わずかとなった。

あとはチャンスを待つだけだった。

暇があった。

就職セミナーで一緒だった友人にメールした。

就職未定のままセミナーを終えた人は少なからずいた。

そのなかの一人にメールした。

その友人は働いていた。

正社員は叶わなかった。

派遣で働いていた。

港に立って積荷降ろしの仕事をしているという。

週五日十四時間働いて月給は十四万円程度という。

恵まれた環境ではない。

冬の港といったらビュンビュン冷たい風が吹いているだろう。

なぜ悪辣な職場で働いてるのか訊ねた。

キャリアに穴を空けるとまずいからだと答えた。

励まされた。

画家が描く絵よりもよっぽど綺麗だと思った。

夜逃げ間近、としくにくんと話した。

「そういえば、引っ越しのときの株の話はどうなったの?株券発行してくれるんじゃなかったっけ?」

アートの筈だった。

聞いてみた。

「ああ持ってても意味ない。
払えない。会社って言っても形だけだから」

「形だけでも株券持ってたら、イイ感じがするじゃん。」

返答は覚えてない。

しかし面倒くさいという態度だった。

株券の発行はアートではなかったようだった。

金が集まるようにアートを使ったのか。

次第に僕に話題が移った。

「ときおくんの悪いところだったら、百挙げられる」

そう言いだした。

「ときおくんは頭使う仕事は向いてないと思うよ」

向きになるほど短期じゃなかった。

「アドバイスするよ。ときおくん、それ稼げるのってよく聞くじゃん。それ、そのうちキレられるよ。それに馬鹿だと思われる。だからやめたほうがいいよ」

「俺そんなにそんなこと聞くっけ?」

「いや口癖だよ」

「そうか。それはマズイな。気を付けよう」

次第に魂胆が見えてきた。

としくにくんは虚勢を張っていた。

「俺は仕事取ってきて、今月十五万稼いだんだよ。自分で営業掛けて仕事もらって、イベント出たり、大道具の技能使って、施設の一部つくって。ガウスだって、パッケージのデザインの仕事もらって、ギャラもらったんだよ」

「ガウスにはホームパーティーのとき俺が紹介したんだよ」

「そうなの。ときおくん、なんにもやってないじゃん。渋家に来て、なんかやったか。仕事するって言ってるけど、してないじゃん。ときおくんは働けないから。ヤバ男なんて毎日四年間、パソコンにかじりついて、映像制作に励んでるんだよ」

「ときおくんみたいな二十七にもなってなんにもできない人はじめて見た。いや、でもそれがときおくんだよ。他のみんなに聞いてみろ。俺がときおくんのこと愛してるかって。ときおくんのこと好きな奴なんてそうそういないぜ。いや、でもそれがときおくんだよ。それがときおくんだよ」

これがアドバイスか。

ただ、キレなかった。

「この歳になって、ここまで言ってくれる人いないぜ。
いわばこれは俺からのアドバイスだよ」

としくにくんは馬鹿ではなかった。

アドバイスという体裁でうまい具合に僕の心に毒を流し込んだ。

キレなかった。

かったるかった。

ただそれでもよかった。

これで夜逃げを正当化する素地ができた。

夜逃げは秒読みだった。

帰郷するまえに友人と会っておきたいと思った。

間宮に電話した。

間宮は高校のときからの友人である。

次の日会うことになった。

これが済んだらすぐに飛ぶ計画を描いた。

その日出かける前に住人と話した。

自分を腹黒く染めた。

ちゃんももが座っていた。

ヤバ男が洗い物をしていた。

つのぴーが眠そうだった。

「としくにくんに昨日嫌み言われたよ」

「そうなの。ときおさんがキレたら、としくにさん、ビビって怖気づくよ」

お膳立てか、ちゃんももが言った。

それを皮切りに昨日としくにくんに言われたことをつらつらと語った。

しかし理解されなかった。

「ときおさんは変わってるから、捉え方がズレてるんじゃない?」

「ときおさんをいい方向に向かわせたかったんじゃない?だからアドバイスで言ったんじゃない?」

本当にそうか。

だから僕は詳細に語った。

そして思弁した。

そして悪意があった、と言い張った。

ちゃんももは認めたがらなかった。

ちゃんももはとしくにくんを信頼していた。

住人を信頼していた。

人間を信頼していた。

ちゃんももの世界には善い人しかいないようだった。

最終的に、言い方が悪かったんじゃないかというところに落ち着いた。

つのぴーはいつの間にか寝ていた。

ヤバ男は依然食器を洗っていた。

そのヤバ男に聞いた。

「俺は普段からとしくにくんを蔑んでるように見えるかな」

控え目にしかし躊躇することなく言った。

「ええ、見えます」

それが朝のやり取りだった。

昼には家を出た。

「気分転換に散歩に行ってくる」

住民にそう言った。

時間があった。

渋谷の街をふらふら歩いた。

遠くまで行っては、近くまで戻ってきたりした。

目的はなく彷徨っていた。

今の自分の境遇にはそれが一番似合っていた。

夜になった。

間宮が仕事を終える。

渋谷駅に待ち合わせた。

会った際に、無職に見えるかどうか聞いた。

乞食かと思ったと間宮は言った。

その後お好み焼き屋に入った。

愚痴を交えながら自分の考えを語った。

俺も上京して九ヶ月に頑張ってたけど、就職できなかった。

それ以前に、自立すらできていなかった。

俺はそれほど能力の高い人間じゃない。

これからは考え方を変えていかなきゃならないと思う。

本当に自分のやりたいことやれる奴なんて、ほんの一握りなんだから、妥協していかなきゃならない。

実家に帰って親元でしみじみ働こうと思う。

それで家に五万でも入れたい。

その傍趣味で好きなことができたらいいんじゃないか。

もういい歳だし、働かないなんて選択肢ないんだから、俺は地元で働くよ。

俺は能力のある人間じゃない。

地元の工場で単純作業でもいいから働きたい。

間宮は受け皿となって聞いていた。

その日は間宮の家に泊めてもらうことになった。

渋家の住人にうすうす夜逃げすることが感ずかれているのではないか。

そう思って一日泊めてもらい、人の出入りの少ない時間に帰る。

そのままバレずに荷物を持って立ち去る。

その手筈を考えていた。

間宮の家に向かうため井の頭線に乗った。

夜の電車は静かだった。

自然に会話が小声になった。

間宮が打ち明けるように言った。

お前の親は健在か。

うちの親は去年ガンになって手術したんだよ。

二十七になったら親はもうそういう歳だよ。

僕は倫理的な人間じゃない。

道徳を重んじていると言っても、誰も認めない。

善悪で物事を考えると、頭がこんがらがる。

もっとクリーンに損得で考えたいと思っていた。

自分の得だけを考える人間をエゴイストという。

間宮の言葉を聞いた。

エゴが悪なら悪行を働きたいと思った。

むしろ悪を憚りたかった。

としくにくんを裏切る。

渋家を裏切る。

もはや罪悪感は一欠片もなかった。

家に着いた。

間宮は用事があると言った。

鍵はロッカーに入れてくれればいい、と言って出ていった。

昔僕が撮った写真があった。

間宮は学生の頃カメラ屋でバイトしていた。

だから現像をタダで頼んだことがある。

受け取っていなかった。

五年ぶりぐらいに自分が撮った写真に出会った。

四つ切りサイズで三十枚ぐらいある。

学生のときにコンペに出そうと思っていた写真だった。

めくるように見ていった。

くだらなく思えた。

寝ようと思った。

寝付きが悪かった。

いろいろ考えた。

くだらない質疑応答がはじまった。

なにも働いている人間が偉いわけじゃない。

そうだ。

人は平等だ。

その通りだ。

どんな人間もどんな人間を見下す権利はない。

当たり前だ。

どんな人間もどんな人間を蔑む権利はない。

そうであるべきだ。

ニートだろうと浮浪者だろうと見下されるいわれはない。

そんなことをしてはいけない。

むしろどんな人間もどんな人間の尊厳を尊重し合える世界。

これが社会の理想だ。

だけどそれに甘んじることは許されるのか。

社会は平等を自明のこととして教化した。

そして個性を鼓舞した。

競うことをやめましょう。

オンリーワンを目指しましょう。

ただそれに甘んじていいのか。

それが行き過ぎて、当然のことを怠るなら、それは病いじゃないか。

平等や個性は昂じると、社会の一つの病理になり得りえないか。

それが渋家であるとは言えない。

渋家の住人の大半は自分で生計を立てていた。

定職に就いていないだけだった。

むしろこの病理に一番あてはまるのは僕じゃないか。

そう疑って僕は過去を掘っていった。

深々と奥のほうに沈んでいった。

起きたのは昼だった。

始発で行く予定だった。

もしかしたら今日は無理かもしれないと思いながら渋家に行った。

荷物が置いてある一室。

それは玄関から一番近い部屋だ。

そこに誰もいなかった。

部屋の電気は消えていた。

荷物を持って出れるようにまとめた。

慌てるな、と胸に言い聞かせていた。

丁度出れるというところで、音がした。

誰かが来る。

自然を装って迎えるとつのぴーが入ってきた。

取り繕うて会話をした。

「なんか精子の匂いがしない?このゴミ袋から臭ってくる」

くだらないという風につのぴーが鼻で笑った。

僕はたわけた演技をした。

掃除する素振りを見せた。

歌を歌ってそれをやった。

そうすると、なんだ元気そうじゃんと呟いた。

それからりょうくんが入ってきた。

これでしばらくは無理だと悟って、上のリビングに逃げた。

リビングでぼーってしていた。

人の気配が消えた。

降りていくと誰もいなかった。

決行した。

リュックを背負い、両手に荷物を持ち家を出た。

振り返ると、住人のますみが歩いていた。

早足をなお早めて歩いた。

右手に持ったiMacは想像以上に重かった。

息が切れた。

真冬なのに汗をかいていた。

物陰を見つけては休み休み歩いた。

しばらくして、コンビニに寄った。

iMacを送るためだ。

このときの僕の形相は不審に映っただろう。

汗。息切れ。動揺。

電車に乗って渋谷から新宿に着いた。

ここまで来てしまったら、落ち着いていた。

小田急線に乗った。

電車に揺られている最中iPhoneでTwitterに投稿した。

「ああ正夢だ。
気付いていたのに
気付かない振りをしてくれて
ありがとう
夢は現実を駆逐した」

しばらくしたらiPhoneの電源が自然に切れた。

家に着いたのは確か午後六時ぐらいだったと思う。

安堵するまで時間が掛かった。

気が騒いでいた。

としくにくんからTwitterに返信が届いていた。

としくにくんから不在着信が一件あった。

僕はとしくにくんを出し抜いた。

その後二三日立ち、派遣会社から電話が掛かって来た。

「勤務地は池袋になりました」

断った。

怒られた。

また新たな求人を探す。





posted by Technical Knock Out at 08:53| 東京 晴れ| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
加筆修正、お疲れ様です。
良くなったと感じる部分と、冗長になったと感じる部分があります。
実は前の文章も保存してありますので、両方、読んでみてご連絡差し上げたいと思います。
それを参考にして構成してみてください。

僕は文学作品として渋家の本を出版したいと考えていて、その一部としてこの作品を載せたいと考えています。
トキオさんさえ良ければ。

それから、飛んだことは問題ありません。
むしろ今まで共に時間を過ごしてくれてありがとうございます。
かならず良い結果を生みましょう。
僕も頑張ります。

また連絡します。
Posted by 齋藤桂太 at 2012年02月10日 17:05
これ、なかなか面白い文章だと思うのだが..。

もう少し誤字脱字を修正してはいかがか。

Posted by 糸クズ at 2012年02月15日 14:13
通りすがりですが読み物として面白かったです。
Posted by カオル at 2012年02月18日 22:51
ときおくーん!!まりべ〜だよ。
おもしろかった(笑)まあ内輪の者としての目線ですが。
いいね。ときおくんだね。がんばれ*(^ヮ^
Posted by まりべ〜 at 2012年03月25日 16:50
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